田山花袋의 『蒲團』論 - 그 評價를 중심으로 -

@inproceedings{1996,
  title={田山花袋의 『蒲團』論 - 그 評價를 중심으로 -},
  author={남경희},
  year={1996}
}
田山花袋の作家としての活動期間は三十八年間といわれているが、その間の彼の文學作品には、進展もあれば轉換もあった。初期の浪漫的主情的な作風から自然主義への轉換、大正期に入ってからの自然主義から宗敎的神秘的傾向への轉換などがそれである。しかし、花袋が自然主義の作家といわれているのは、彼の文學的活動の頂点が明治末期の自然主義文學にあったからであろう。 彼は早くから漢詩、和歌に學び、桂園派の歌人に創作の基本を敎わり、肉體化させていた。ついで硯友社に近づき、さらにロマンティシズムに燃えた抒情詩の世界に浸り、一轉して自然主義の最も勇敢な主張者となり、結果としてその代表的作家となったが、そこまでは傳統的文化原理の側からは一つの謠れであり、同時に「革新」でもあった。そして、花袋は所謂自然主義の最も華やかな時代を送って、やがて精神的にも製作的にも行き詰まり、數年間の動搖と苦悶とを經て、自然主義から逸脫し、一種の宗敎的境地に入る。それは又日本の傳統的な價値にもどることを意味する。それだけ、花袋において日本の「傳統」というのは、外國の影響より大きかったと言うことができるのである。 ところで、一般的に日本の近代文學は、西洋文學やキリスト敎などの影響がその源泉にあり、過去の傳統との脈絡を絶つという意識のもとに出發したと信じられていて、これは花袋の自然主義時代の作品に對する從來の硏究においても同樣であった。西洋思潮の吸收もしくは外國文學との關連から、それは主に「革新性」についてのみ評價されて來たことを認めざるを得ない。 しかし、花袋の場合、漢詩ㆍ和歌をはじめとする日本の古典、つまり「傳統」の中から敎えられたものは、花袋の初期の抒情詩や紀行文の基盤となり、後の彼の自然主義文學の根底を流れる地下水となって、一生離れなかったということができる。彼は自然主義時代においても、日本の中の西洋を强く摸索する一方、他方においては傳統世界から、つねに新しいものを汲み取ろうとした。それは同じく明治四十年に出された『蒲團』と『西鶴小論』とによって代表される。 特に花袋の一番代表作である『蒲團』の評價は、發表當時から今日に至るまで出つくしたところもまで來ていると言っていいが、その論據となるおもな內容は、「性慾」「告白」「事實」の問題、「主觀ㆍ客觀」の問題、「外國文學」との關連性、モデル問題、「皮剝の苦痛」「藝術と實行」「私小說」などである。そのなかでも『蒲團』における「告白」という問題は、從來の硏究では多く外國文學との關連、つまり「革新性」という側面からのみ論じられてた。ところで、この論文では『蒲團』の中のもう一つの要素-傳統とのつながりを見出そうとしたのである。『蒲團』と日記文學-とくに平安朝の日記文學との關係を調べ、そこからのちの「私小說」の發生を見ょうとしたのである。それによって平安朝の日記文學-『蒲團』-大正期の所謂「私小說」という一線が確認できるのである。